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名古屋高等裁判所金沢支部 平成2年(う)27号 判決 1991年3月26日

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

一  本件控訴の趣意は、被告人名義、弁護人鳥毛美範名義及び弁護人梨木作次郎・同加藤喜一・同鳥毛美範・同西村依子・同飯森和彦共同名義の各控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官川又敬治名義の答弁書に、それぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

二  論旨は、事実誤認と訴訟手続の法令違反の主張であり、要するに、原判決は、被告人がHに対して強制わいせつ行為をしたという公訴事実について、被告人はそのような行為には及んでないのに、全く信用性がない右H及び事件を目撃したというYの各証言等を措信し、また、捜査官の利益誘導によってなされた虚偽内容の自白であって、任意性がなく証拠能力に欠けるとともに信用性もない被告人の弁解録取書も証拠として採用したうえ、これをも根拠にして被告人を有罪と認定したが、以上は、採証方法に関して訴訟手続の法令に違反するとともに、事実を誤認したものであって、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、原判決を破棄したうえ被告人に対しては無罪が言い渡されるべきである、というのである。

三  そこで所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調の結果をも参酌して検討するに、原、当審で取り調べた関係各証拠(以下、地点の説明については原判決の略称に従う。)を総合すれば、本件犯行を否認して、真実は、被告人がたまたま深夜一人で歩いていたHを追い抜こうと後ろから近づいたとき、同女がいきなり悲鳴を上げたことに驚き、トラブルを避けてその場から逃げただけのことで、被告人が警察での弁解録取書で一旦犯行を自白したというのも、当時被告人としては赤旗新聞を配達しなければならない都合があったため、捜査官の暗示的な言葉に惑わされ、やったと言えば家に帰してもらえると考えたことによるものであるなどと主張する被告人の弁解は、経験則上不自然、不合理とみられる点も多々あって、そのとおりがすべて真実であると積極的に肯認することまではできないが、一方で、原判決が有罪認定の拠り所とする原審公判廷におけるH証言(第五回、第六回)及びY証言(第七回、第八回)(以下単に証言というときは原審公判廷のそれを指す。)は、その供述の内容自体や変遷状況に無視できない疑問点が多く見出され、これを他の関係各証拠や状況とも対比して検討するときには、原判決の認定とは逆にその信用性には多分の疑念が生ずるだけでなく、更に、改めて当審において取り調べたH証言や各書証及び当審の検証結果等も併せ参酌すれば、それら証言の矛盾は一層著しいものとなり、また一方で、本件においてH、Y両証言が事実とするなら当然実施されるだろうはずの捜査方法が取られていないと思える点も看過しがたく、となると、前記弁解録取書での自白もただちには信用できず、原判決が被告人の犯行を示す情況として挙示するその他の諸事実の認定ないし評価もそのままには首肯できないものになるのであって、結局において、被告人が強制わいせつに及んだとする本件公訴事実は、証拠上その犯罪の証明が不十分なものと結論せざるを得ない。以下、順次その理由を述べる。

四  本件公訴事実の要旨

本件公訴事実の要旨は、「被告人は、昭和六三年一二月八日午前二時四五分ころ、石川県金沢市<番地略>先路上において、同所を通行中のH(当二四年)を認め、強いて同女にわいせつの行為をしようと企て、いきなり同女の後方から抱きついた上、同所先の陸橋下に引きずり込み、無理やり同女の着衣内に右手を差し入れて、同女の左乳房を弄び、もって、強いてわいせつの行為をなしたものである。」というものであり、検察官は更に、本件犯行の開始から終了までの時間は大体数分から一〇分間であり、被告人がHに最初に抱きついた地点から左乳房を弄んだ地点までの距離は約三五メートルである旨釈明した。

五  原判決の事実認定とその理由の骨子

1  原判決の認定事実

原判決が認定する犯罪事実は、本件公訴事実とほぼ同旨の内容であるが、その最初の犯行着手の地点につき「金沢市<番地略>先の主要地方道金沢・美川・小松線の上り線側道の路上において」と、当初の犯行態様につき「いきなり同女の背後から、両手で同女の両手の上から抱え込むようにして同女に抱き着(つ)いたうえ」と、同女を引きずり込んだ場所及び方法につき「同所先の右地方道の通称神田陸橋の北西側の橋梁下である、新神田二丁目線六号道路と新神田三丁目線七号道路とを結ぶ道路が右地方道と立体交差してガード状態になっている部分に、同女を背後から抱えるようにして連れて行って引きずり込み」と、同女の左乳房を弄んだ回数を「数回」と、それぞれ具体的に特定して、有罪の認定をするものであるところ、なお、原判決の「当裁判所の判断及び補足説明」並びに原判決挙示の各証拠によると、被告人が最初にHを襲って背後から抱きついたとする地点は、前記地番の地方道の上り線側道上に設置されている歩道橋を下りてから北西方約四〇メートル先の「ナカヤビル」前付近路上点(H立会いの昭和六三年一二月二六日付実況見分調書―以下、「H実況見分」という―添付見取図中の表示地点、今後の表示地点は同図中のものを指す。)であり、被告人はそこから右路上を約25.5メートル前方の本件ガード入口付近点まで同女を背後から抱えたまま真っ直ぐ押すようにして連れて行き、そこから被告人の右手は同女の右肩の上からみぞおち付近、左手は初めは同女の左手の上に、次いで左脇から同女を抱え込むようにして、進行方向の左斜め約8.8メートルの本件ガード下の点まで引きずり込み、その場において、無理やり同女のワンピースの首のところから着衣の中に右手を差し入れてその左乳房を弄んだという事実を認定していることも明らかである。

2  その理由の骨子

関係各証拠のうち、深夜現場道路を一人通行中被告人に襲われたとして本件公訴事実に沿う被害状況等を供述するH証言及び当時たまたま現場付近に通り合わせて悲鳴を聞くとともに本件犯行の一部と思われる状況を目撃し、そこから逃走する被告人をわいせつ行為に及んだ犯人として追跡して捕らえたというY証言は、いずれも信用するに足るものであり、また、逮捕直後、被告人が司法警察員に本件犯行を自白した弁解録取書は、その作成経過や供述内容に照らして任意性に問題はなく、信用性にも欠けるところがないのに対し、これを否定する被告人の原審公判供述、つまり、被告人は、日本共産党の赤旗新聞の配達業務に従事していたものであるところ、当日午前二時過ぎころ自動車で新聞配達に出向く途中、本件現場付近の前記地方道の上り線側道の路上に駐車して仮眠を取ったが、眠気が覚めなかったので近くのスーパー店(サークルK)に缶コーヒーを買いに行くことにし、小走りで同側道を本件ガード入口付近まで来て、たまたま被告人の先を同方向に歩いていたHに追いつき、そのまま追い抜こうとしてその右斜め約1.5メートル付近に迫ったとき、突然、同女が悲鳴を上げたため、逆に被告人の方が驚き、深夜のことでトラブルに巻き込まれることを恐れて、思わずその場から走り去ったものであり、弁解録取書は、やったと言えば身柄拘束を解くかのような捜査官の利益誘導により事実に反する供述をしたものであるなどという弁解(以下、「被告人弁解」という。)は、その内容自体が不自然、不合理なものであり、前記H、Y証言と対比してみても信用することはできない。

すなわち、H証言は、細部についての記憶には不鮮明、不正確な部分があるとはいえ、その供述内容は、具体的かつ詳細であり、供述態度も誠実かつ自然であって、被告人がわいせつ行為に及んだことを明確に供述しており、その大綱は捜査段階からの供述ともほぼ一致するところで、同女が述べる被害状況のうち、最初に抱きつかれた地点の特定、犯人が抱きつき引きずるようにしたときの相互の姿勢や位置関係、同女が上げたという悲鳴の状況など、記憶が混乱し不正確になっている部分がないわけでもないが、それは、深夜突然に見ず知らずの男に襲われたことで正確で詳細な状況を再現するのを求めること自体に無理があり、ただちにその供述が信用できないとすることはできない。

H実況見分中の指示説明や悲鳴の回数、犯人が同女を襲った態様についての供述が判然としない気味もあるが、いずれも合理的に解釈することで事実を確定することが可能なものであり、弁護人側で行った犯行再現実験の結果も、当時の被害状況を正確に再現すること自体が本来困難なものと思われ、これをH証言の信用性に疑いを抱かせるに足る反証とみなすことはできないのであって、H証言は十分信用できるものというべきである。また、Y証言は、同人立会いの同月二七日付実況見分調書(以下、「Y実況見分」という。)中の指示説明と合致しない部分もあるが、H証言とはその供述内容がほぼ一致しており、Y、Hの両者が本件事件までは全く面識がなかったと認められることからすると、Yが事実に反して虚偽のH証言に符合する供述をする理由は全くなく、その供述態度からしても信用するに十分なものであって、前記実況見分調書中の指示説明との不一致部分も、捜査官が指示説明内容を誤解して記載したためと思われ、その信用性を損ねるものではない。

一方、これらに反する被告人供述が事実であるとするならば、HとYは揃って何もしていない被告人をあえて強制わいせつの犯人であるように虚偽の事実を供述したということになるのであるが、特別の関係があったとは窺えない二人が、口裏を合わせて無実の被告人を冤罪に陥れるような虚偽事実を述べるということは到底考えられず、Hにしても、被告人に濡れ衣を着せて犯人に仕立て上げるというのなら、被告人には本件ガード下付近で襲われたと供述すれば足りるのであって、なにもことさらそのはるか手前で犯人に抱きつかれ、本件ガード入口まで引きずられるように連れて行かれ、そこから更にガード下に引きずり込まれて乳房を触られたなどと過剰かつ余分な被害事実を創作して供述しなければならない必要性はない。

証拠によれば、Hは本件ガード入口付近から被告人の後を追うようにしてその出口付近まで進み、そこで出会ったYと一緒に被告人を追いかけ、最後Yが被告人を取り押さえた際にもHがその場にいたという経緯が認められるのであるが、もし被告人が何もしていないのにHが悲鳴を上げたことで逃げ出し、Hとしてはとっさにその事態を自己の失態と恥じて取り繕おうとしたのなら、最初の本件ガード入口付近からただちに他に立ち去ればよいことで被告人をその出口付近まで追いかける必要はなく、更にYと出会って後、同人とともに被告人を追跡したということは、被告人に追いついてしまえばその口からHの早とちりの非が明らかにされるおそれがあることからして到底理解しがたい行動であり、被告人供述を事実としては説明困難である。

これを被告人の行動の面から検討しても、被告人はHの悲鳴に逆に驚いてトラブルを避けるため逃げたというが、畑やたんぼにも入り、他人の店の看板などを伝って建物の上まで至るという逃走経路や形態は、被告人がいうように何にもしていない者の行動としては余りに不自然であり、自分がトラブルに巻き込まれると所属する日本共産党に対して捜査当局が不当な捜索等をしてくることを恐れたという被告人の言い分も、その地位、身分からみて危機的状況における対処の仕方について通常の人よりも合理的に行動できると考えられる被告人が、その場で自分が何にもやってない旨の弁明を一切しないまま、かえってトラブルを助長するような場当たり的行動をとったことの説明にはならず、しかも、被告人が逮捕後においても、捜査官に対して、Hが悲鳴を上げたため逃げただけで何にもしていない旨、自分の立場を守るための具体的な弁明をしていないというのも不可解である。

以上、本件における事実関係は、被告人供述を事実としては到底説明することができないのに対し、被告人が本件犯行に及んだとすればすべては合理的に説明することが可能となるのであって、これと異なる被告人供述は信用できない。

六  当裁判所の判断

はじめに

本件においては、右のように、H証言やY証言と被告人弁解とが極端に対立して犯罪の成否が争われている場合であるところ、原判決は、前述のとおり、被告人供述の弁解内容は不自然、不合理で措信するに足りないものであり、H、Y両証言は、細部において不明瞭、不正確な点があり、前後の供述が一致しない部分もないわけではないが、全体的には十分信用することができ、また、被告人の弁解録取書も措信するに足るものとして、有罪の認定をするのであるが、相対立するこれら各供述の信用性を検討するに当たっては、単に全体的観察から窺われるその供述自体の一般的な特徴や傾向に頼るだけではなく、他の客観的な証拠や状況との整合性を十分に吟味し、経験則に照らしての合理性の有無を考究し、また供述変遷の状況とその理由を確かめ、時には供述の真実を歪める特別の状況の存否にも配慮しながら、相互の対立点の疑問を慎重に質していかなければならないのはいうまでもない。

なおその場合、一方の供述の信用性が否定されることがあるからといって、その反射的効果として、対立する他の供述内容が逆に全面的な信用性を具有するに至るといった相関関係まであるわけでないのはもちろんであって、当該供述内容自体の信用性について別個の検討を省くことができないのも当然である。

と同時に、供述証拠は、その供述者が体験した事象についての認識の程度、記銘力の強弱、記憶の劣化、混乱、勘違い等のほかその事実を正直に供述することを不都合とする何らかの事情の存在などによって、個々の供述部分毎にその信用性に差異がある場合もないわけではないから、供述全体の対比のみによる信用性の優劣だけで直ちに全体を推し量るということも相当でない。

それらの点にも留意したうえで、原判決の前記事実認定の根拠となった関係各証拠や状況の評価、判断の当否を概観するのに、原判決が本件公訴事実どおりに有罪の認定を行うことの最大の拠り所としたH、Y両証言の信用性に関する直接的な検討はひとまず措くこととし、最初にそれら各証言の信用性の有無と裏腹の関係にもある被告人供述を中心に事実関係を推究してみると、被告人が本件犯行には及んでいないという限度での弁解の真否はともかくとして、被告人はHに対して何にもしておらず、被告人が同女を追い越そうとして後ろから接近したことに驚いて同女が悲鳴を上げたため、トラブルを避けようとしてその場を離れ、更に追いかけて来るYに捕まるまいと逃走したに過ぎないという趣旨の弁解内容については、被告人自身にも争いがないと思われる当時の事実関係に徴してみても状況的に符合しない諸点が多く見られることは原判決も指摘しているところであって、これをそのままに措信することはできない。

すなわち、もともと本件が被告人供述にいうような出来事に過ぎないというのなら、被告人はHから悲鳴を上げられたとき、即座に自分が何の危害を加えるつもりもないことを説明してこそ、誤解によるトラブルを避ける方法として誰しもがとっさにとる態度と思えるのに、一言も発しないで途端にその場から逃げるように走り去るというのでは、かえって相手の疑惑を深めるだろうことは目に見えており、その後Yに追われたからとはいえ、被告人の逃走の経路や形態は必死とも見える真剣なもので、最後追い詰められ、応援に駆けつけた第三者を交えて手荒な仕打ちも受けて痴漢扱いをされ、ついには現行犯逮捕されるに至るまで、自分は単に通りすがりの者で、そのような悪事を働いたわけでもなければそのつもりもなかった旨を弁明したり、逆に抗議したりもしなかったということは、無靠を主張する者の振舞いとしては誠に不可解というほかなく、更に逮捕後捜査官に対しても、被告人供述にいうような事情がことの真相である旨を具体的に釈明しなかったというのも理解しがたいところであって、その理由が前述の被告人供述どおりというのでは到底納得できるものではない。

ではあるが、一方で原判決が、被告人供述を信用できないとする反面として、被告人が本件犯行に及んだとみること、またHが本件公訴事実どおりの被害に遇ったとすることですべては合理的に説明することができるとしている判断は、尚早な結論であり、直ちに肯認することはできない。

けだし、以上の検討を通じてみれば、当時被告人とHとの間には何か切迫した関わり合いが生じ、それは、H、Yらから被告人がHにいたずらをしようとした犯人と咎め立てされても反論することがはばかられるような被告人の弱みや負い目に繋がる出来事であり、同時にHやYの側とすれば、被告人をその犯人として追跡し、捕らえて問詰するといった強硬な態度、行動に出て当然と考えていたふしが窺えるのであって、そうであれば、このときHとの間に全く何事もなかったという被告人の弁解をそのままには措信するわけにはいかないことになるのであるが、だからといって、原判決がいうように、H、Y証言が全面的な信用性を具備するに至るわけでもないからである。

もちろん、対立する被告人供述の信用性が否定されれば、H、Y両証言の信用性が相対的に高まるということはいえるのであるが、それがなお、本件公訴事実どおりの犯行の存在を立証するに足るものであるかどうかについては、改めての検討が欠かせないのであって、とくに本件にあっては、原判決自身でさえその理由中でH、Y両証言の一部内容に不正確、不明瞭、不一致な箇所があることを認めており、これら証言の信用性を保証するためには、そのような供述内容の矛盾が果たして合理的に説明できるかどうかを、他の関係証拠や状況との整合性を確かめつつ慎重に吟味しなければならないところである。

以下、原判決の有罪認定の最大根拠とされているH証言の信用性の検討を中心に、これに関連するその他証拠や付随事情との状況的符合の具合も比較対照しながら、また、必要に応じては当審における事実取調の結果をも参酌して、原判決の事実認定の当否を考察していくこととする。

1  H証言について

原判決は、H証言につき、その供述内容は具体的かつ詳細であり、同女の供述態度も誠実かつ自然であったと認められるから十分信用できるものとし、しかもそれは、同女の捜査段階での供述経過(昭和六三年一二月八日付、同月九日付司法警察員に対する各供述調書―以下、員面と略称―、同月一四日付、同月一五日付検察官に対する各供述調書―以下、検面と略称―、いずれも供述の一貫性を見るため非供述証拠として取調べたもの。)に照らしても大要において一致するものというのである。

しかしながら、原判決がいう供述内容の特徴や供述態度の在り様というのは、それ自体で供述の信用性を強く担保する程の判断基準になるものではなく、むしろそれは、個々に供述内容を検討したうえでの結論的評価ともいうべきものであるところ、その検討の結果では、以下に述べるとおり、その証言には幾多の見逃せない疑問点を指摘することができ、同女の本件に関する捜査段階から通じての供述内容は枢要な点での相違や変遷が認められ、H実況見分における同女の指示説明も被害状況の重要な場面で証言と齟齬するなどしており、原判決の同証言に対する評価を直ちに受け入れるわけにはいかない。

(一)  H証言の要旨

最初にそのH証言の供述内容をみるのに、それは全体を通じて必ずしも明確で一貫したものといえないのであるが、前記実況見分での指示説明も加えて概括的に眺めると、要するに、次のような事実関係が供述されているものといえる。すなわち、

Hは、本件当時二四歳の独身女性であるが、当夜はアルバイト先である片町のスナックの仕事を終えたのち、酔いざましを兼ね、夜間には初めて通る道を一人で自宅まで歩いて帰ることとしたこと、店から四〇分くらいも歩いて本件現場付近の神田陸橋の上り線側道に差しかかったとき路傍に一人の男が乗った乗用車が停車しているのに気付き、気持ちが悪いと思いながら通り過ぎ、更に一〇〇メートル程先の歩道橋を上がる前、その付近に痴漢が出るという噂も聞いていたことが気になり、後ろを振り返って見たがそのときは後を尾けるものはいなかったこと、Hはそのまま歩道橋を渡り切り、その下り口から約四〇メートル先のナカヤビル前(点)に来たとき、いきなり被告人に背後から抱きつかれたこと、Hはそれまで被告人が後ろから迫って来ることには気がついておらず、一瞬わけが分からなかったが、すぐ痴漢かなと思って「キャー」と悲鳴を上げたこと、被告人の抱きつき方は、当初はその右手はHの右肩からみぞおち辺りに左手は同女の左肘の上から押さえるような形のものであったものが、のちにその左手は同女の左脇下から胴を抱えるように変わったが、その両手は最後まで前で組まれるようなことはなかったこと、Hは後ろから被告人に抱かれたまま、押されるようにしてほぼ真っ直ぐに前方約25.5メートルの本件ガード入口付近(点)まで連れて行かれ、そこから左斜め方向約8.8メートルの暗い本件ガード下の地点(点)に引きずり込まれ、そこでワンピースの首の所から被告人の右手を胸の中に入れられ左乳房を二、三回弄ばれたこと、Hは、最初被告人に襲われてから本件ガード入口付近に連れて行かれ更にガード下に引きずり込まれるまで、被告人の手を解いて前方の明るいところに逃れようと自分の手を前に伸ばしたり、持っていたカバンを振り回したりするなど一応の抵抗もし、また、その間を通じて、大声で「キャー」とか「助けて」とか叫び続けていたこと、被告人はガード下に至るまでは終始何もしゃべらず、Hの口を塞ぐようなこともなく、また体に触ってくるようなこともせず、胸の方に手を入れられるという不安さえも感じなかったこと、ガード下で被告人から着衣の中に手を入れられたのち、Hはよろめいて左手を地面につくようにして転んだが、その途端被告人は左乳房を掴んでいた手を外ずし、Hから離れてガードの出口方向から更に下り線側道を右に折れて逃げ出したこと、丁度そのときHの近くに一人の男性(Y)が来て立っており、「僕に任せて、足には自信があるから。」と言って被告人を追いかけて行ったこと、Hもすぐ起き上がって一緒に被告人を追跡したが、被告人は畑やたんぼに入り、最後追い詰められて看板をよじ登って他人の建物の屋上まで逃げたが、ついに観念した形で降りて来たところをYと応援の他の男の二人で逮捕し、臨場した警察官に引き渡したこと等のほか、右逮捕時における被告人とのやりとり、その後におけるHの警察での取調状況や実況見分での指示説明の内容、当時のHの服装等を述べるものであり、全体として本件公訴事実における被害状況と合致するものである。

(二)  H証言の信用性等について

右のとおり、H証言は、被告人を犯人と名指した強制わいせつの被害状況を供述するものであるが、一般的によくよくの特殊事情がない限り、無実の第三者を破廉恥罪の犯人にでっち上げるような虚偽の犯罪被害を捜査官等に申告し、法廷での証言でもこれを維持するということなどはなかろうと考える常識的見方はともかくとして、その証言の供述内容自体を率直に眺めた場合、とくに他の証拠や状況と対比するまでもなく、そこに述べられている本件犯行の態様等や被告人やHのその際の行為、態度がとても自然かつ尋常なものとは言いがたいものであることがまず問題とされなければならない。

すなわち、被告人の犯行態様が供述どおりのものとするならば、被告人は最終的にはガード下で行ったような強制わいせつを企んで犯行に及んだことに間違いないのであるが、それなら何故に、現実にわいせつ行為に及んだガード下からはるか手前の側道上の点でHの後ろから抱きつくというような所為に出たのか、そこからガード下に至るまでわいせつ行為とみられるような挙動には出ず、Hの叫び声の口を塞ぐようなこともせず、その間終始無言のまま行動していたというのは何を意味するのか、相当距離の間をそのような状態で移動するうちには相手に逃げられたり、あるいは犯行が他に発覚したりするおそれがあると思われるが、あえてその地点で実行に着手したことの理由は何か、逆に、Hの側からすれば、そのころその付近に痴漢が出没するという噂を聞いていたというのに、深夜女性一人で寂しく初めての夜道をわざわざ歩いて帰る気になったのは何故か、痴漢と思える犯人に背後から襲われ抱きつかれながら、その手を脱して逃げるための必死の抵抗といえる程の防衛行為に出たことの供述が欠けているのは何故か、その時の犯人の抱きつき方で果たしてその手を振り解いて逃げることはできなかったのかなど、たちまちにして多くの疑問が浮かぶのであって、改めての検討によりそれらの問題について納得できる根拠が示されその供述内容の信用性が確かめられるのでなければ、原判決が有力な判断基準とした、供述内容が具体的かつ詳細であるなどの印象的理由だけで直ちに証言全体の信用性を認めるわけにはいかないのである。

そこで以下に、H証言の信用性等に関し、その供述内容自体の自然性、合理性、他の関係証拠や客観的状況との整合性、供述の変遷やその理由等およそ供述の信用性の判定に関係すると考えられる諸事情を総合的に検討し、当審での事実取調の結果をも参酌して、事項ごとの問題点を個々に吟味するとともに、併せて全体的な観点からの推敲も行うこととする。

(1) H証言自体に内在する問題点について

そこでまずは、H証言自体に内在する問題点を取り上げてみるのに、以下に示すような各点を挙げることができる。

(ア) Hが最初に抱きつかれたとする地点について

H証言では、被告人から最初に襲われた地点の特定について様々な供述をし、結局は、H実況見分(昭和六三年一二月一四日実施)の際に指示した「ナカヤビル」前の点(前記歩道橋の下り階段下から約四〇メートル)を正確な箇所といっているものと理解されるのであるが、その証言中では、他に、「(階段を)下りてしばらく歩いたら」「一〇〇メートルも歩いたか、歩かないか」「一〇〇メートルというのは歩き過ぎですけど、歩数で言えば一五歩くらいと思う」(第五回公判)とか、「(階段を)下りてすぐだった、まだそんなに歩いていない記憶」「(実況見分で立ち会って指示した地点は)この辺りというのが周りから何となく分かる」「階段からガード下入口辺りまでの中間くらいだった」「(ガード寄りでなく)まだ階段寄りだったと思う」(第六回公判)とか供述していて、その地点の特定は甚だ心許なく、特に距離の表現においては一〇〇メートルと一五歩という常識はずれの食い違い供述をしている点など誠に不自然で、これを単なる記憶の混乱や距離感覚のズレということで済ますことができるものか首を傾げざるを得ないのである。

この点原判決は、当時の被告人の犯行態様に対するH証言の不確かさも含め、深夜突然見ず知らずの男から襲われたのであるから、その際の正確な状況の再現を求めること自体に無理があるとの理解を示すのであるが、深夜一人歩きの途中に痴漢に襲われるという特異な体験をした女性が、最初に抱きつかれた地点という程度の比較的単純な事柄について、それほどに記憶が曖昧であるということは容易に肯きがたく、それでもそれが事実というのなら、証言は、漠然としたままの答えにとどめておけばいいものを、相互に矛盾するようなあれこれの供述をして帰一しないというのはやはり不自然というほかなく、かりに、Hが本件被害時の記憶に自信がなかったとしても、証言は、同女が実況見分に立ち会って現場においてその地点を既に指示して確定したのちのことであってみると、当該地点がそこであることをはっきり供述することができないはずはないのであって、にもかかわらず前記のように供述が混乱する理由を原判決のような理解で追認するわけにはいかない。

これをHの捜査段階での供述によって確かめてみると、「歩道橋を渡り終えて一〇歩と歩かない内に」(一二月八日付員面)と述べてわざわざ階段を下りてすぐの地点を図示し(同調書添付)、同じく「一〇歩も歩くか歩かない内に」(一二月九日付員面)と述べる一方で同調書の中でそれよりはるか前方の「ナカヤビル」前をその地点と指示し(添付住宅地図)、検察官の取調に至っては「さきに一〇歩も歩かない内にと供述したのは、私の感じで話したのであり、(実際は)歩道橋を渡り終えて少し歩いた時で、現場で警察の人に説明した場所が正確である」旨(一二月一四日付検面)供述が変化しているのであるが、これら供述内容を前記H証言と対比するときは、供述全体の矛盾は更に広がるのであり、とくに、まさに被害直後の捜査官に対する取調では、歩道橋を下りて一〇歩も行かないすぐにと説明していた最初の被害地点を、のちに三〇メートル以上も前方の「ナカヤビル」前と言い直したその供述の変遷は、理由が薄弱で直ちには納得できない。

結局、このように最初に被告人から抱きつかれたという地点の特定に関するHの供述が混乱し、かつ変遷するというのは、同女が正確にその地点を記憶していないのではないかという疑いを抱かせるだけで済まず、歩道橋下り口から本件ガード入口付近までの間で同女が被告人に後ろから抱きつかれるという実体験をしたこと自体にも疑念を投げかける状況と捉えることも可能である。

なお、原審及び当審における各現場の検証結果によれば、Hが最初に被告人から襲われたと供述する前記「ナカヤビル」前の点付近は、街灯やビルの玄関灯などで相当に明るく、しかも同ビルは住宅兼用建物でもあったということで、そもそも通行中の女性にわいせつ行為に及ぼうとして襲いかかる場所として相応しいところとは思えず、現に被告人は、その地点からは約三五メートルも先の暗いガード下にまでHを連れ込んでから初めてわいせつ行為に及んだというものであって、そこに至るまでの間は同女の身体に対していかがわしい所業に出ることはなかったというのであるから、それなら何のためにそのような地点で早々の犯行に着手する必要があったのか、犯人心理をいろいろ忖度して状況を推理してみてもその合理的理由を見出すのは困難であり疑惑は一層高まるのである。

(イ) 本件被害をHが予見できなかったという点について

H証言によれば、同女は、当時痴漢が出るという噂があるのを知りながら本件現場付近道路を深夜初めて一人で通行中いきなり背後から被告人に襲われたと供述する一方で、その際抱きつかれるまで人が近づいて来ることには全く気が付かなかったと述べ、そのことは同女の捜査段階からの言い分としても一貫しているのであるが、同女が供述する被害状況に即して容易に信じがたいことである。

すなわち、Hは、前記歩道橋の手前の路傍に停車中の乗用車内に男が座っているのを見たのち、付近に痴漢が出没する噂を聞いていたこともあって気になり、歩道橋の階段を上がる前には後ろを振り返って用心もしたというのであるから、当然神経は後方にも向けられて歩行していたと考えられるところ、もし、Hが証言するように、歩道橋を下りて四〇メートル先の前記「ナカヤビル」前で被告人に襲われたのが事実とすれば、乗用車内にいたという被告人はHに倍する早さの小走り歩調で追いかけて来なければ追いつけない計算になり、そのときには、当時サンダル履きであったという被告人が接近してくる足音がHの耳に入らないはずはないのであって(当審検証によって確認済み)、果たしてHに気付かれないように密かに近づいてきた被告人が歩道橋下り口から約四〇メートルも先の点でいきなりHに襲いかかるといった事態が実際にあったのか疑問を抱かされるのもやむを得まい。

(ウ) 被告人の抱きつき方等について

Hが被告人から抱きつかれた態様等について、H証言は、最初は、被告人の右手は同女の右肩からみぞおち辺りに、左手は同女の左肘を上から押さえ込むようにして抱きかかえ、やがては左手が同女の左脇に移って胴を抱えるような形にはなったものの、その両手が同女の体の前で組まれることはなかったこと、被告人はそのようにHを抱いたまま後ろから押すようにして黙って前方に進んだが、その間同女の乳房を掴むなどわいせつ行為には及んでおらず、その不安も感じなかったことなどと供述しているが、これは強制わいせつを目的とした犯人の行為としては極めて不自然なものといわなければならない。

すなわち、結局は、そこから約三五メートルも先の暗がりのガード下に至って初めてわいせつ行為をするつもりであったとみられる男が、相手女性に騒がれたり、暴れて逃げられたり、あるいは通行人や近所の住民に咎められて捕まったりするおそれもある明るい道路上でいち早く犯行に着手することの不可解さもさることながら、それでもあえて行為に出るというのなら、相手を取り逃がさないように後ろからその両手をしっかり羽交い締めにするとか、自分の手を前で組み合わせるとかして確実にその自由を制圧しようとするのが当然と思われるのに、H証言がいう程度の抱きつき方では、相手が本気になって抵抗した場合、果たしてその逃走を防ぐに足るものか甚だ疑わしいからである。

(この点、原判決は、弁護人側の行った犯行再実験による被害者の脱出可能とする結論に対し、当時の条件を同じように設定することは困難であるとしてその証拠価値を否定するのであるが、確かにそのときの被害者の驚愕や畏怖心など心理的要因まで加えた厳格な意味での状況再現はむずかしいとはいえようが、犯人側の行動を予測するに当たりその将来の可能性を知る限りの資料としてなら、被害者が全力で犯人の手を逃れようとしたときという前提での実験も決して無意味なものとはいえない。)

ところで、以上の本件犯行態様等につき、捜査段階におけるHの供述をみてみると、前記証言内容とは実質的に大きな違いがあることが分かる。

つまり、被害当日である昭和六三年一二月八日付員面では、「(犯人は)両手で私の体を羽交い締めにした」「羽交い締めの状態のまま暗い本件ガード下まで引きずって行った」「陸橋の下で羽交い締めにしていた右手を私の右肩に持ってきて左手は羽交い締めの状態」と、翌九日付員面(告訴調書)では、「後ろから抱きつき、服の上から私の両方のおっぱいをギュッと掴んできた、胸が痛かった」「いつの間にか、犯人の手は、右手は私の右肩から胸、左手は左脇腹から胸という恰好になった」とそれぞれ述べたのち、同月一四日実施されたH実況見分に立ち会って指示説明したのち、当日の検察官の取調(同日付検面)において、「男は私の後ろから抱きついて手を私の胸のあたりに回していた。警察で私の体を羽交い締めにしたと言ったのは、今日説明したように後ろから両手で抱きついてきたという状況を説明したもの」と供述するところ、そこでいう今日の説明という内容をその実況見分調書(同月二六日作成)添付の写真五葉目によって確かめてみると、犯人がHの両上腕部あたりを後ろから両手で抱え込むような情景が写されているのであって、してみると、検面供述は、羽交い締めというのでなければ、H証言がいう抱きつき方でもない態様に訂正されていると見ざるを得ないことになるが、これら捜査段階でのHの供述は、相互にも大きく変遷し、そのいずれもが原審証言と実質的に軽視できない違いがあることは明らかである。

H証言では、H自身「羽交い締め」というのがどんなものか知らず、警察での取調のときには自分からはそのような表現はしていない旨説明し、前記検面調書でもその趣旨の釈明をしていることになるが、各員面調書の取調官がHが供述もしないことを勝手に調書化したり、「羽交い締め」の意味を誤解して記述したりしたとは、それら供述内容がその後の抱き方の変化にも触れていることからしても信じがたいところであって、検面調書において、起訴(昭和六三年一二月一八日)後一週間以上も経てから作成された前記実況見分調書の写真描写を遡って引用した恰好の供述が、真相を語ったものとも考えられない。

要するに、Hは、本件事件直後及びその翌日には、捜査官に対し、被告人から最初は羽交い締めの状態で体の自由を制約され、しかもすぐその場で両方の乳房をきつく掴まれたというわいせつ被害までも申告しておきながら、のちにこれを撤回し、原審証言では、前述のとおり、およそ強制わいせつ犯人の犯行としては状況的に不自然不合理といわざるを得ないような態様の説明に後退しているとみられるのであって、もし後者の証言が事実とするなら、事件直後における前者の供述は、当然虚偽もしくは過剰な被害申告といわざるを得ないことになるが、Hの口からそのような供述変遷についての納得がいく理由をついに聞くことはできない。

H証言中、被告人から最初に抱きつかれた際の態様については、先に指摘したとおり捜査段階供述とも大きな相違があり、事実被告人からいうような襲われ方をしたのか多分に疑問があるものといわざるを得ない。

(原判決は、H証言とその捜査段階供述とは、大綱において供述内容が一致していて信用するに足るものとするようだが、以上に検討したような重要な事実関係の矛盾に言及しないで、他の大筋が合致することのみで信用性の保証があるとすることはできない。)

(エ) 連行方法やこれに対するHの対応等について

H証言による被告人の犯行態様が、最初の襲撃地点の地理的条件や抱きつき方において強制わいせつ犯人の行為として不自然と思える点があることは前述のとおりであるが、更に、Hを本件ガード入口方向へ連行する方法につき、羽交い締めもせず、かつ両手をHの体の前で組むということもしないまま、ただ押すように前方に進み、Hも前に逃げようとしていたため二人はもつれる様なこともなく、小走りといった感じで同ガード入口あたりまで移動した旨述べている部分も、強制わいせつを目的とする犯人の行為として何ら切実感を伴わない事実経緯であって、その際の犯人が真剣に相手女性を逃がさないようしっかり身柄を確保する制圧手段に出ていたものか疑問である。

そして、このような被害に遇ったというHは、その難を免れるため本能的にでも相当の抵抗を行うはずであるのに、H証言が述べるその際の同女の対応というのは、およそ抵抗と呼ぶには程遠い行為にとどまっているばかりでなく、同女自身が必死の抵抗をしたこと自体を言いはばかっているようにさえ見えるのが奇妙である。

すなわち、前記「ナカヤビル」前付近で突然後ろから被告人に抱きかかえられたというHは、とっさに痴漢に襲われたものと直感し、「キャー」とか「助けて」とか大声で叫びながら、掴んでいる犯人の手を解こうとして自分の手を伸ばしたり、右手に持っていたカバンを一応振り回したりしたが駄目で、とにかく明るいところへ行こうと思って必死に前に進んだが、犯人の方もちょうど押してくる感じで二人はそのまま前方に進み犯人の手は解けなかった、というのであるが、そこで述べられているHの対応振りが、深夜一人通行中の女性が痴漢に襲われて必死に難を免れようと抵抗している場面のものと眺めて極めて現実味に乏しいことは説明の要を見ないほどである。

普通女性が当夜のHと同じ被害に出くわしたとしたならば、まずは我が身を守るため、本能的、反射的にも犯人の手を振り払って逃げようとする行為に出るはずであり、そのときにはその手を掴んで引き外そうとし、あるいは身を捩って暴れ、場合によっては犯人の手を引っ掻いたり噛んだりもするなど必死の防御ないし抵抗を行うことが予想され、しかも、犯人の最初の抱きつき方というのが、前記のような甘い態様のものであったとしたら、被害者が女性とはいえ瞬発的に両手を拡げて前に駆け出すことで制縛を脱することが決して不可能とは思えず、少なくともその方法を試して当然と思えるのに、そのような行為には出ず、ただ手を前に伸ばしたり、持っていたカバンを手放しもしないで振り回すだけで、二人三脚よろしく犯人が女性の後ろから抱きついた状態のまま小走りで進んで行ったという犯行形態では、誠に間延びした悠長さが目立ち現実的迫真性がまるで感じられないのである。

この点をH証言で具体的にみてみると、例えば第六回公判で、当時どういう抵抗をしたかとの質問に対し、「一応、手をとにかく取ろうと思うんだけども、取れないというのかな、後はもう、押されるから、そんな抵抗どころじゃなくて、私も行かなきゃいけないと思うから、ある程度、鞄は振り回すけど、そっちのほうが、なんか二つ一緒にできないのかな、そっちのほう向かって歩いてた、必死で、もう歩いてたという感じです」と答えているが、これなどHがまともな抵抗をしていないことを自認したうえでの弁明とも受け取れそうな供述内容であって、中に必死とか暴れたとかの証言部分はあってもそれは内容空疎であり、宙に浮いたものといわざるを得ない。

当審におけるH証言によっても、以上の疑問点はより深まりこそしても、これを解消することはできないものである。

もっとも、一般的にいえば、後ろから突然男に抱きつかれるという被害に遇った女性が恐怖心のあまり萎縮して十分な抵抗ができなかったという場合がないわけではないが、本件当時のHの場合、痴漢が出るという噂を知りながら、当夜とくにその必要があったとも思えないのに初めてというその現場付近の夜道を一人で歩いていたものであるうえ、証言によれば、同女は、身長163.5センチと大柄で、剣道二段の腕前があるほか、学生時代から各種スポーツに親しんでいて体力に自信もあり、性格は自ら気丈であることを認めており、更に本件にあっては、被告人が逃げ出したのを「この野郎、なにするげ」「逃げるな、くそ」など女性にしては口汚いと思える言葉を吐きながら直ちに追跡し(告訴調書)、被告人を捕らえる際にはその頭を叩いたりもしたというのであって、そのようなHが畏怖心によって抵抗できなかったということは到底考えられないのである。

なお、Hの捜査段階供述では、「必死にもがき暴れた」(告訴調書)とか、「逃げようとしたが、男の力が強く、振り払うこともできず、ガード下の方へ引っ張り込まれた」(検面調書)とか述べている部分もあるが、いずれも抽象的な表現で具体的内容に欠け、これによってH証言の信用性を補完するに足るようなものではない。

(オ) とくに悲鳴の点について

Hが本件被害に遇ったときの対応として、犯人に抱きつかれた最初から犯人が逃走するまでの間、ずっと大声で悲鳴を上げ続けていたというH証言は、本件事実関係を究明するうえでとくに重要である。

証言では、Hは、前記「ナカヤビル」前の点で突然被告人に後ろから抱きつかれ、痴漢に襲われたと直感し、その場で「キャー」とか「助けて」とか大声で悲鳴を上げ、更にそこから抱きつかれたままの状態で押されるように前に進んで本件ガード入口付近に至ったのち暗いガード下に引きずり込まれてわいせつ行為に及ばれるまでの約三五メートルの間、ずっと悲鳴を上げ続けていたというのであるが、この事実は、捜査段階からも一貫してHが供述するところでもあり、また、当審における同女の改めての証言でもこれは変わらず、「人に気付いてもらおうと思ってかなりの大声で何回も悲鳴を上げ続け、一〇回前後は叫んだと思う」旨明言しているのである。

そしてもし、本件当時、H証言どおりに何回も悲鳴を上げ続けていたという事実が立証されるのであれば、同女が供述するような態様の本件犯行が実際に行われたことの有力な証左になるだろうし、それが逆に否定されるならばH証言の信用性が大きく減殺されることになるのはいうまでもない。

そこで検討するに、本件犯行があったとされる当夜「ナカヤビル」前付近から遠くない自宅で寝ていたというMの証人尋問調書によれば、同女はその時刻ころ寝つかれないまま布団に横たわっていたところ、「キャー」という女性特有の甲高い大きな悲鳴を一回聞き、何だろうなと思って耳を澄ましていたが再びは聞こえなかったというのであり、一方で、不審者として被告人を追尾していたというYの原審証言(第七回公判)でも同旨の供述がなされていたことからすると、Hが何回も悲鳴を上げ続けていたという証言の真実性は極めて怪しいものであり、当時Hが発した悲鳴は一回限りと認定するのが相当であろう。

原判決はこの点、Hはとっさの出来事で記憶が混乱して、抵抗した以上何回も大きな悲鳴を上げたはずと思い込んで証言したものと考えられ、事実はYが第八回公判で証言し直したとおり、悲鳴の大きなものは二回であったと認められると判断するのであるが、当審検証結果によって悲鳴が上げられたと推定される付近よりはせいぜい約三〇メートルと目測される近距離の自宅二階の寝室にいて悲鳴を聞き、その後も意識的に気をつけて耳を澄ましていたというM証言の証拠価値を否定する状況は何もなく、これに対し二回の悲鳴を聞いたというYの訂正証言は、本人自身の捜査段階から通じての過去の供述内容と対比しても措信することは困難である。

原判決の認定では、Hが悲鳴を上げ続けたというのは錯覚かも知れないとし、また、大きな悲鳴は二回だけとする反面で小さな悲鳴なら上げていたかも知れないと考える余地を残すことでH証言の信用性をカバーしているように見えるのであるが、助けを求めて人に気付いてもらおうと大声で悲鳴を上げ続けたという同証言に曖昧さはなく、これが誤信に基づいての供述とは考えられない。

となると、実際には一回に過ぎなかった悲鳴を、何回も叫び続けたと述べるH証言は、事実に反していることを知りながらことさらの主張をしている疑いが濃厚であり、これは、原判決がいうように、抵抗した以上は何回も悲鳴を上げたはずと思い込んだとみるよりか、同女が捜査段階から維持する本件被害状況に基づけば、犯人に抱きかかえられて相当距離を移動する間に一切抵抗をしなかったというわけにはいかず、そのときには当然悲鳴を上げ続けていたと説明せざるを得なかったという事情によるのではなかろうかと疑う方がより理に適ったものというべきである。

そして、当時の悲鳴が一回に限るものとすれば、それはHが最初に被告人から襲われたという「ナカヤビル」前付近とみるほかないのであるが、その場合には、それに引き続いて約三五メートルも被告人に体を抱えられてガード下まで連行されわいせつ行為に及ばれるまでの間、Hは終始無言のままでいたという常識上はあり得ない被害状況を想定しなければならないことになるのである。

そればかりでなく、更に当時被告人を追尾していて悲鳴を聞いたという前記Yの供述証拠及び当審の検証結果によって明らかにされた現場の地理的条件等を基にして、その一声の悲鳴が発せられた地点の位置を推量してみるのに、それはH証言がいう「ナカヤビル」前の点付近ではなく、本件ガード入口の点付近と認めるのが合理的と考えられ、この点に限っていえば、同点付近で初めてHとの関わり合いがあったという被告人弁解と符合するところである。

以上の検討からしても、本件犯行が「ナカヤビル」前の点で始まったとするH証言の信用性は大きく揺らぐものといわなければならない。

(カ) わいせつ行為及び転倒について

H証言では、要するに、被告人は同女を無理やり本件ガード下に引きずり込み、点付近で右手を同女のワンピースの首もとから入れてその左乳房を二、三回弄んだが、同女がよろめいて転んだとたん急に体を離してその場から逃走した旨を供述するのであるが、その供述内容は全体的に曖昧、不分明なきらいがあって安定せず、具体的とはいってもそれはかえって供述の混乱を示すものと見ることもできるなど、それ自体の信用性は決して高いものとはいいがたいところ、他の関係証拠や状況をみても、これを補強するどころか、かえって減殺する消極的事情さえ浮かび上がってくるのである。

まず、わいせつ行為についてのH証言をみれば、それまでHの体にいたずらをする気配など全くなかったという被告人が、本件ガード下に来て、急に右手をHの着衣の中に突っ込んできたというのであるが、その態様は、ガード下に引っ張り込まれて点に向かって移動している最中に手を入れられたもので、一応抵抗もしていたので簡単に入れられたわけではないという一方で、その手がいつ入ってきたか分からないくらいに入ってきたとも説明し、その後被告人に乳房を素手で二、三回揉まれるという女性にとって恥ずかしい行為に及ばれた間にHがそれを嫌がって必死に抵抗した様子を窺わせる供述は欠落しているのであって、これら証言が、強制わいせつ事犯の具体的状況の描写として甚だしく現実感に乏しいものであることはいうまでもなく、更にその時点での犯行を目撃したかのようにいうY証言が原、当審検証結果によって客観的に否定されることは後述のとおりであるし、右わいせつ行為を含めて被告人の犯行を窺わせるHの着衣や身体の損傷、痕跡もないことも証拠上明らかであって、これら事情もH証言の信用性についてマイナス評価を与えるものであることはいうまでもない。

ついで、転倒についての供述内容を探ってみると、H証言は結論的には転倒したと供述しているものとみざるを得ないのではあるが、個々の供述では、「その後私がこけそうになったんです。足がもつれたのか、とにかく転んだ。私が左手で地面を支え、仰向けにちょっと左傾く程度で転んだ。」(第五回公判)、「私はこけそうになった。倒れてしまいはしなかったけど、お尻はつかなかったけど、一応左手ついて倒れた。砂利の道に足がもつれたのか、倒されそうになったか分からない。何かに、先、足もつれて、倒れそうになったときに、ぱっと手が離れた。」(第六回公判)などと状況を説明するものであって、それらが本当に転倒事実をいうものかどうか甚だ不得要領のものであり、これまた心証に結び付かない。

これらの点についてのHの捜査段階での供述の経緯を調べてみると、当審で初めて取り調べた現行犯人逮捕手続書では、「この男がいきなり私に抱きついて来て、陸橋下に引き倒され、私の首から手を入れ胸を触った。」旨警察官に説明したとされ、事件当日のH員面では、「ワンピースの首の所から右手を入れて来て、左のオッパイを直接触わられた。」旨供述するものの、転倒の事実には触れておらず、翌日付の告訴調書では、「胸を触られたとき、倒れそうになったこともあった」旨述べているのに、一二月一四日実施のH実況見分での指示説明では、被告人に乳房を触られたと言いながら(着衣の中に手を入れられたとは述べてない)、転倒状態になった旨を供述した形跡はなく、当日付の検面調書でも、突然男が離れて行ったというのみで転倒事実の供述はみられないのであって、そのような供述経過に照らすと、果たして転倒という事実があったのか極めて疑わしく、それよりも、現行犯人逮捕時にHが「引き倒されて首から手を入れられて胸に触られた。」と述べたというのがもし事実なら、それは同女の他の供述とは完全に遊離した過剰な被害申告とみるほかないのであって、事件直後におけるそのようなHの供述姿勢は、本件におけるその供述全般の信用性にも大きく関わるものといわなければならない。

(2) その他H証言の信用性に関係する諸事情の検討

以上のとおり、H証言にはその供述自体に多くの疑問点が存在することが明らかであり、その合理的解明が行われないまま犯罪立証の根拠とすることは許されないものと言わなければならないのであるが、なお、その信用性の有無、程度の判断に当たっては、当該供述内容に内在する事情の検討のほかに、これに関連する他の証拠や状況とも対比することで、その供述が客観的に裏付けられるかどうか、その信用性を損なうような事情は存在しないかなどの考察が欠かせないのであって、以下に、その観点から改めてH証言の信用性の検討をすることとする。

(ア) Hの着衣、身体等の損傷や痕跡の有無について

H証言が述べるところの被告人による本件犯行の態様は、前記のように強制わいせつの事犯にしては暴行の強度が低調に過ぎ、これに対するHの抵抗も極めて弱いと見られることが不自然ではあるが、それでもいうような被害を受けたHが、痴漢に襲われたと直感して多少なりとも抵抗したとするなら、同女の身体を束縛していた被告人との接触により、その着衣や身体等に何らかの損傷や痕跡が残されて普通であり、まして本件ガード下では犯人はHのワンピースの襟元から右手を入れ、直接素手で左の乳房を掴んできたというのであるから、若い女性の本能的な防御行動としても相当激しい身体の動きがあって当然で、そのときには右損傷や痕跡が残るのを免れることはできないものと思われるのに、証拠上はこれは一切存在しないのであって、本件犯行が実際に行われたとするなら誠に理解しがたいことといわなければならないのである。

更に具体的にいうならば、関係証拠(昭和六三年一二月九日付被告人及びHの着衣についての各写真撮影報告書、同月一三日付Hの着衣についての実況見分調書、その拡大写真作成報告書、Hの原、当審各証言等)によれば、Hが本件被害に遇ったとするときの服装は、ブラジャーの上にスリップをつけ、赤いワンピースとコートを着用し、首には三連の鎖に白い玉がついたネックレスをかけ、マフラーを巻き、手にはカバンを持っていたものであって、それが前記のような強制わいせつの被害を受けたというのなら、ワンピースの襟元が綻んだり、下着が破れたり、ネックレスが切れたり、首の周りや左乳房などに擦過傷や爪痕が残ったりする等して当たり前であるのに、その一切の跡が見当たらず、当時振り回したというカバンにも何の疵もなく、被告人の着衣にHの衣服の繊維が付着するといったことなど二人が接触した事実を客観的に裏付ける証拠もないのであって、いってみると、本件強制わいせつの犯行と結びつく物的証拠は何もないといってよいのである。

(イ) Hの捜査段階における供述内容とその変遷について

H証言の信用性を検討するためには、同女の捜査段階での供述内容との符合性や食い違いを比較考量することも重要であり、その一部については既に触れてもいるのであるが、改めてその点を考察してみるのに、H証言の信用性に関し無視しがたい供述内容や変遷状況を指摘することができる。

すなわち、Hが最初に犯人に抱きつかれたとする地点や態様、抵抗の程度、わいせつ被害を受けた時期や場所、転倒の有無等本件犯行の全般にわたってHの捜査段階供述と原審証言では実質的にかなりの食い違いが存在することは、前述のとおりであり、また、捜査段階供述相互の間にも少なからぬ変遷があるのにその合理的理由が明らかにされていない場合があることも否定できない。

これらの状況が、H証言の信用性を損なうものであることはいうまでもないが、そればかりでなく、もし原審証言の方が真の事実を語っているものというのなら、これと齟齬する被害状況を記憶も新鮮なはずの事件直後ころに供述していたというのは一体何を意味するのか、それが証言で述べる事実関係より過大な内容であった場合には、なおのことそのような供述態度自体に不明朗なものを感じるのを禁ずることはできない。

例えば、前記のとおり、Hは、現行犯人逮捕の際臨場した警察官に対し、「この男がいきなり私に抱きついて来て、陸橋下に引き倒され、私の首から手を入れ胸を触った。」旨の被害状況を申告したということになっているが、これが証言とは著しく異なった内容のものであることは明らかであり、そこではHが前記「ナカヤビル」前付近で突然被告人に後ろから抱きつかれ、相当距離の間を押すように進み、本件ガード下に引きずり込まれたという被害状況は全く述べられていないばかりか、証言では被告人に胸を触られてから砂利道に自らよろめいて転倒したとたん何故か被告人が逃げ出したと説明している部分が、被告人が故意にHを引き倒してからわいせつ行為に及んだ旨逆の犯行経過が供述されたことになっているのであって、何故にこのような各供述の差異が生ずるのか理解しがたく、Hの当審証言によってもその理由を知ることはできない。

同様の疑問は、Hが本件事件翌日付の告訴調書で「(被告人が)後ろから抱きつき、服の上から私の両方のおっぱいをギュッと掴んできて、胸が痛かった」という供述部分についても存するのであり、これら突出した供述がどうしてなされたのかその理由が謎とされるだけ、H証言の信用性が弱められるのも仕方あるまい。

(ウ) 本件犯行に対する捜査方法に関する疑問について

前項で説示するとおり、H証言の信用性の検討に当たっては、同女が捜査段階でどんな供述をしていたかを探究することが有用であり、そのためにはまた、同女の被害申告に基づいて行われたはずの捜査方法がどのようなものであり、同女がこれに対してどのように応じたかを知ることが肝要と思われるのであるが、その結果では、H証言が述べているような被害状況を前提とした捜査がなされた可能性が少ないというだけでなく、同女が事件直後にいったんは捜査官に申告したとされている被害事実の核心的部分さえもないがしろにされているとみざるを得ないような捜査方法が明らかになってくるのであって、Hが当時捜査官に供述したとされている被害状況や被告人のこれに対する弁明の内容、態度等を参酌するときは、その捜査方法ないし事件処理の仕方には、軽視することができない矛盾、不手際、粗漏さがあることを指摘せざるを得ない。

順を追って検討してみると、まず、当審において取り調べた現行犯人逮捕手続書(当審検一号)に関して次のような疑問がある。

すなわち、同手続書は、私人である前記Yほか一名が痴漢犯人として逮捕した被告人の身柄を金沢中署の警察官が引き取って同署に引致した手続経過を記したものであり、その中には逮捕者であるY及び被害者というHから事情を聴取した結果、Yが「付近を通りかかった際、陸橋陰にひそんでいる不審な男を発見し、そこにたまたま通りかかった女性に抱きついたので、慌てて走っていき、逃げる男を追って逮捕した。」旨、Hが「この男がいきなり私に抱きついて来て、陸橋下に引き倒された。そして私の首から手を入れ胸を触った。」旨それぞれ説明したとの記載がなされているのであるが、右Hの説明とされる部分が過剰被害の申告になっていることは前述のとおりであり、Yの説明部分もまた、同人のその後の供述(事件当日の員面調書を含め)に全く現れてこない犯行状況を内容とするものであってみると、両者がそのときにそのような説明を実際に行ったのかが極めて疑わしいものになってこざるを得ない。

のみならず、両名ともに捜査、公判段階を通じて全く同旨の供述をしていないことからすると、これは、現行犯人逮捕について関係者から的確な事情聴取をしなかった警察官が、実情把握が不十分なまま調書を作成したのかも知れないという疑念さえ拭えないのである。

そして、そこでYが説明したとする、不審な男がひそんでいた陸橋陰というのは、前後関係からして歩道橋の陰を意味するものと解されるのであるが、ということになると、当日付のH員面に「神田陸橋(の歩道橋、後からの挿入)を渡り終えて一〇歩も歩かない内に後ろからいきなり男の人に抱きつかれた、男は後ろから両手で羽交い締めにした、私は後ろから男が追って来ていることは全然分からなく、足音も気がつかなかった。」旨の供述記載がなされていること(翌九日付員面にも同旨の供述記載がある。)と奇妙に符節が合うことにもなり、一方でHが被告人から最初に襲われた場所の特定について一見記憶が混乱しているかのような供述を行っていたのも、決して故ないものではないと思えてくるのである。

つまり、歩道橋の陰にひそんでいた犯人が突然飛び出し、橋を下りてきた女性の後ろから気付かれないように襲うには、同女がその歩道橋を下りてすぐの地点でなければ状況的につじつまが合わないものとして、後のH供述が誘導調整された疑いも捨て切れなくなるからである。

次に、本件は、日本共産党員である被告人が徹底的に事実を否認黙秘している案件で、捜査官側としても、その証拠の収集確保には遺漏がないよう万全を尽くして当然であって、現に当時の捜査責任者も、公判で事実が争われることも予測し、実況見分を中心に慎重に捜査を進めるよう指示した旨証言もしているぐらいであるのに(坂本丈之助証言)、その実際の捜査方法は、犯罪の存否、犯行の態様、被害状況等の肝心な事実関係の究明とは程遠い形のもので終始しており、とくに捜査の中心的課題としたという実況見分の内容は、Hが捜査、公判段階で供述する本件被害状況を事実とした場合、信じがたいくらい杜撰かつ的外れなものであって、前記捜査官側の意気込みとの大きな落差が何に原因するのか理解に苦しむところである。

この点を詳説すれば、まず、Hは事件当日金沢中署に行って被害申告をするとともに取調に応じて員面調書の作成にも協力しているのであるが、その際Hが被告人に本件ガード下で右手を同女のワンピースの首もとから入れられて乳房を直接触られた事実を供述しているというのに、その後に撮影した同女の被害時の着衣等の写真ではその客観的証跡が発見できず、このことがH証言の信用性に疑問を抱かせるということは、先に述べたとおりである。

しかし、ここでより問題として重視すべきことは、本件被害の痕跡が見出せないという写真の中身よりか、その写真の撮り方にあるように思われる。

すなわち、関係証拠によれば、Hは、本件被害の一時間程のちという時点で中署の警察官にその際の着衣の状態を撮影されたのに(一二月九日付写真撮影報告書、当審検二号)、更に翌九日には再度被害当時の服装で中署に来るよう指示され、改めて被害時着衣の状況として写真撮影をやり直したもので(一二月一三日付実況見分調書)、原審においての立証として取り調べられたのはその後者であることが記録上明らかである。

ところで、本件におけるように、被害者が無理やりガード下に引っ張り込まれて着衣の中に手を突っ込まれ素手で乳房を直接弄ばれたと訴える強制わいせつ事案で、被疑者がその犯行を強く否認しているということになれば、捜査官として被害者の着衣や身体に着目し、その変化を見逃すことがあろうとは思えず、いずれにしても犯行直後とされる被害者の服装の生の状態などを写真で証拠保全するのは捜査の常道ともいうべきものであり、前記事件当日におけるHの写真撮影も、本来その趣旨でなされて普通である。

しかしながら、当審において改めて取り調べた事件当日の前記写真撮影報告書添付の写真を検するのに、そこには、Hが当時着用していたコートの上に普通より大振りのマフラーを首に巻付けたままの状態の姿を、正面、横、背中から写した三枚の写真があるだけで、折角の写真撮影を行いながら肝心のHの首筋やワンピースの襟元に着目した写真は全くないのであって、これが本件のような事案についての捜査方法として不十分なものであることはいうまでもない。

これについてその際の写真撮影を行った鑑識係長千田登は、撮影段階でHの供述内容は知らされておらず、写真撮影は指示によらず独自の判断で行った旨証言するのであるが、当日明け方までかけてHを調べ、そのときの員面調書中には被告人が同女の着衣の首もとから手を入れて乳房を触ったことが記載されているというのに、目の前にある貴重な証拠方法であるHの被害直後の着衣、身体についての証拠保全の指示がなされなかったというのは尋常でなく、そのときHが、その員面調書に記載されているような強制わいせつの被害を本当に供述したのかさえ疑わしく思えてくる程である。

そして、翌日になって改めてHの人着状況を撮影し直したというのは、右の不都合を是正する目的のものと推察されるのであるが、その際の実況見分調書添付の各写真も、Hの首もとを中心とした証拠保全措置としては物足りないといえるもので、その実況見分を実施した本件捜査担当の証人坂本正二が、着衣の損傷を確認する必要性がないと判断したと言い、Hの身体の痕跡の有無も、露出する部分に痕は見当たらず、本人からの申告もなかったので女性の着衣の中を覗き込むことまではできなかったと述べる説明も納得できるようなものではないのであって、当時Hが述べていたという被害状況と比べその証拠の収集保全に対する捜査官の関心の低さは誠に不可解というべきである。

ついで、本件捜査の重要手段として、一二月一四日にH立会いのもとで犯行現場の実況見分が実施されてるのであるが、その際のHの指示説明や捜査官の見分方法等についても不審な点が多い。

前記坂本丈之助証言によれば、当時本件捜査の責任者であった同人は、日本共産党員の被疑者が犯行を否認している事案の性質上、とくに実況見分を中心に捜査を進めるよう指示したが、その場合には、被害者についてなら事前によくその供述内容を調査して把握し、現場では被害者に犯行を再現させ、その過程に矛盾はないか、供述は合理的で一貫したものかなどを確かめるのが肝要と考えていたというのであって、そうだとすれば、その捜査方針が下に伝えられなかったとは考えにくいところ、前記実況見分調書をみる限り、実際の見分方法と内容が右の方針に反すること著しく、その理由が何であるのか大きな疑問を抱かせられるのである。

すなわち、右実況見分の本来の重要目的がHがそれまで捜査官に説明していた被害状況を確認しその裏付けを取ることにあったということであれば、その見分の対象は、ただ被害にあった関係地点の位置の特定だけにとどまらず、それぞれの場面における犯行の態様も含めて当時の被害状況の再現を試みるはずであるのに、その調書に記載されている見分結果は、いたずらに被告人が逃走を計ったのちの詳細な足取りを辿るのに重点を置いている感じで、最も肝心な被害状況に関する見分が極めて疎略に済まされており、その中でH自身が自ら被害状況を再現したという写真の姿が公判証言だけでなく捜査段階供述とも符合しないものであることなどがいかにも不自然である。

そこには、被告人から襲われたのちのHが抱きつかれた手を解こうとして抵抗した様子は一切示されていなければ、最後にガード下で被告人の手がHの着衣の中に差し入れられてきた情景も明らかにされておらず、また、その説明がなされたことの記述さえもないのであって、これらは、その際の同女の向きがどちら方向であったかということの食い違いよりもはるかに不合理な点であり、なまじの釈明で疑問が氷解するようなものではない。

関係者の弁をみるのに、右実況見分調書の作成者でもある証人上野博英は、見分時Hのそれまでの供述内容の概略は知っていたものの、その供述調書は事前には読んでおらず、見分終了後に読んだなどと証言するのであるが、Hの従前供述の真否を現場において確かめることを目的とする実況見分の趣旨からして容易に信じがたく、また、Hはその実況見分の現場で、被告人から服の中に手を入れられて乳房に触られ同女はキャーッと悲鳴を上げたとは説明していたが、そのことは供述調書の方で明らかになる事柄だから重要とは思わず、その地点などは見分の対象にしなかったし、更に、Hがそのときどういう抵抗をしたかについては質問をせず、説明もなかったなどとも証言していて、それでは右実況見分の目的は一体何だったのかを尋ねたくなるのである。

これをその立会人であったH証言によってみると、同女は警察から一応場所だけの指示でよいからといって右実況見分の立会いを求められたに過ぎず、現場では被害状況の再現などは求められなかったと述べており、これが事実とするなら、捜査官側の右実況見分では本件犯行の態様などは最初から関心外のものだったのかとも推量され、このことがまた、H証言の信用性を減殺する方向に作用して当然である。

以上、本件に関する捜査方法については、H証言ないし供述がいう犯行態様ないし被害状況を事実とした場合、理解しがたい安直さや矛盾、杜撰さが目立つのであり、これらもH証言の信用性に影響を及ぼす事情とみなさざるを得ない。

(エ) Hの交際関係と証言態度について

その他にも、H証言の信用性に影響する事情として、同女の交際関係とこれに関わる証言態度にも触れないわけにはいかない。

すなわち、Hは、原審証言中に前記Yらとともに被告人を追い詰めて逮捕した際、被告人に対し「私の彼氏は警察だから」と言った旨認める証言をしたものの、それは単なる脅しであるとして交際事実は頭から否定していたところ、当審において弁護人側から同女がかって現職警察官と共同生活までも含んだ親密な男女の交際があり、その関係は現在も継続しているらしいことの証拠書類が請求されて取り調べられ、Hも改めての当審証言ではあえてこれを否定しなかったことからすると、本件事件当時においてもその警察官との交際があったことが推測され、原審証言に際しては、ことはプライバシーに関わる問題として事実を秘匿して置きたかったという立場はあったかもしれないが、本件犯行の成否を決める大事な証言を行う者としてはやはり不誠実な供述態度というほかなく、これがいろいろと不審点が多い本件に関する同女の証言の背景に疑念を生じさせることになるのもやむを得ない。

2  Y証言について

以上、H証言を中心とした検討の結果では、その証言には、多くの問題点があり、また、その他関係証拠や付随事情に照らしても、その信用性を減殺すべき情況が存在し、その信用性は全体的に極めて乏しいものと言わざるを得ないのであるが、なお、事件当時被告人を不審者として追尾していたという前記Yは、本件犯行の一部を目撃し、その他にも本件公訴事実を補強するに足る状況を知るものとして原審で証言し、原判決でも、これを有罪認定の重要な証拠として採証しているので、同証言の補強証拠としての証拠価値の有無、程度をも考究することとする。

(一)  Y証言の要旨

原審におけるY証言は、第七回と第八回の各公判に分かれるのであるが、その供述の大要は、おおむね次のとおりである。すなわち、

まず、第七回公判においては、Yは、本件当夜、新神田陸橋の下り線側道上から、反対側の上り線側道を小走りで走って行く不審な男を見かけ、後を尾けてみようと考え、下り線側道を同方向に進み、前方の歩道橋の階段を上がって、また下りかけた途中でその男の姿を見失ったため、諦めて帰ろうと階段を戻りかける途中、後ろの方から「キャーッ、誰か助けて」という女性の声が聞こえた。すぐ引き返し向こうを探るように見ながら階段を下りて行き、その途中だったか下りてしまってだったかはっきりはしないが、向こうのガード下のちょっと暗いところに二人が何かやっている、揉み合っているという感じの黒い影が見え、同時にワァーワァーという声もちょっと聞こえたので、そこからは全速力で走って行った。すると、そのうちの一つの影が転び、二、三秒してそこから男が飛び出して来、ついで女も出てきて「この野郎なんとか」など何か文句を言って追っかけてるみたいなので、何かされたのかなと思って、そのまま走って行って女に追いついた。女は捕まえる感じであったので、「俺に任しておけ」と言って男を追いかけた。途中追いつきそうになったとき、男が後ろを振り向いて「お前は誰だ」と聞くので、変わったことを聞くなと思った。更に追跡を続け、最後に屋上まで逃げ上がった男が下りてきたところを応援にきた店員と二人で逮捕し、駆けつけてきた警察官に引き渡した。捕まえるときには、逃げるなと言って投げ飛ばしたり、殴るか蹴飛ばすというようなこともし、男は「もうしません。許して下さい」と言っていたと思う。女も捕まえた男の頭をちょこんと叩いたら、男は「あなたが叩くのは分かる」というようなことを二回くらい言っていた。第八回公判では、これと大体は同旨であるが、悲鳴が聞こえたのはガード下付近からだったかどうかは分からない。悲鳴の回数は二回くらいあったと思う。黒い影を見たのは二回で、最初はガード下ちょっと入ったところで揉み合っている状態、次はもっとガード下に入ったところで一つの影が転んだ状態、女はワァーワァー何か文句をつけていたが、しゃべり方はすごく「この野郎何とか」とか乱暴な感じであった。二つの影が実際に揉み合っていたかどうかまでは分からない。Yはガード下まで入って女と言葉は交わしてない。何で女が追いかけ、男が逃げているかについては、はっきりは分からないが、悲鳴や女が飛び出して来たときの服装の乱れ等から、何かされたと判断した、などと前証言内容を補充、修正するものである。

(二)  Y証言の問題点とその証拠価値について

原判決は、以上のY証言の供述内容は、前記H証言の供述内容とほぼ合致するうえ、両名は本件まで知己関係もなかったのであるから信用性があるとするのであるが、確かに同人は、H証言が述べる本件被害状況のうち、ガード下付近で被告人とHが揉み合い、そのときHが転倒したという本件犯行の一部を目撃したかのような供述を行い、これに、Y実況見分での同人の指示説明も加えると、その限りでH証言を一応補強するに足る証拠価値があるかのように見えなくもないのであるが、その点を当審での検証結果にも基づいて改めて検討してみると、その供述の正確性には問題があって信用することができず、その他の情況事実に関する部分の証言では、逆にH証言とは食い違う供述内容のものが少なからず認められるのであって、到底補強証拠としての効用を果たすに足るものではない。

すなわち、前記Y証言をみると、まず、同人が本件当日聞いたという悲鳴の回数やそれが聞こえたとする方向は、当時「ナカヤビル」前付近で被告人に襲われてからずっと悲鳴を上げ続けていたと主張するH証言とは相容れないものであり、また、二つの影が揉み合っているような場面を見た際、女の方の声でワァーワァー何かすごく乱暴な口の聞き方で文句を言っているようであったとする証言も、ほとんど抵抗らしいこともしないで犯人からわいせつ行為をされたかのようにいうHの被害状況の説明とそぐわず、更に、Yが男を追いかけたときには、ガード下の中までは入ってはいないとする供述部分も、H証言と相反する内容のものであることが明らかであって、これらの違いが、いずれもHがいうところの本件被害の状況と合致しないことはいうまでもない。

右のような両証言の違いからすると、Yが、Hとの供述を一致させるため、ことさら自らが体験、認識しない虚構事実を証言したものとは考えにくいのであるが、なお、事実究明のため、本件犯行の成否にも関わる一部目撃事実とされる供述部分の真否を確かめてみなければならない。

(1) 悲鳴の回数等について

Yは、当初本件当時に聞いた悲鳴の数は一回だけのように述べていながら、後日の証言ではそれが二回だったと言い改めているのであるが、その訂正証言は、曖昧で確信に満ちたものではなく、同人がそれまで捜査段階から通じて誰にもその事実を言ったことはなく、とくに警察の実況見分の立会いにおいては、悲鳴を聞いた位置や体勢まで念を押した指示説明を行っているのに、実際にもう一度の悲鳴を聞いていたのなら、そのときに申し出ないというのはいかにもおかしく、悲鳴が二回という証言を信用することはできない。

しかし、そのいずれにしても、Hが供述する本件被害状況とは符合しないものであって、犯人に後ろから抱きつかれたまま相当距離を連行され、着衣の中に手を入れられて乳房を触られるといった被害を受けたという同女が、その間に一声か二声の悲鳴しか上げなかったというのが現実的でないことは、既に説示したとおりである。

(2) 人影の目撃について

Y証言では、悲鳴を聞いたあとガード下の入口に近いあたりで揉み合っているような二人の人影を見たというだけでなく、その内の一人が転んだ場面も見たように供述するのであるが、Yの本件直後の警察における取調(一二月八日付員面)では、悲鳴が聞こえた事実を述べているだけで、人影のことには全く触れていなかったのに、同月一五日に実施されたY実況見分での指示説明では、橋台の間のガード下点(添付見取図1)に人影が見えたということになっているのであるが、転倒の事実までは述べられておらず、また、その人影をガード入口近くで見たという説明がされたことにもなっていないところからすると、公判証言で初めて出てきた人影の転倒を目撃したという供述は信用することはできず、そのガード下の地点で揉み合っているような二人の人影を見たという右実況見分での新しいYの指示説明も、もともと信用性は乏しいものである。

のみならず、Yが前記実況見分で人影を見たとするガード下地点に立つ人物に対する夜間の見通しについて、原、当審と重ねて行った夜間検証の結果に基づいて検討すれば、Yが当時人影が目撃できたとするどの場所から眺めてみても、右ガード下点付近は暗闇状態で、本件犯行が行われたとされる時刻ころ、Yの位置から右ガード下の地点にいる人物の存在やその行動を視認できるはずがないことが明らかにされているのであって、となると、そのガード下地点の人影や転倒状況を見たとするY証言は、明らかに客観的事実に反することになり、この点に関する同人の供述部分は全く信用できないものと言わなければならない。

しかしながら、Y証言と前記Y実況見分での同人の指示説明を対照してみると、目撃されたという黒い人影の位置について、実況見分では、到底視認不可能なガード下深くに入り込んだ点を指示したとされているのに、証言では、悲鳴が聞こえたすぐ後に向こうのガード下になるちょっと暗いところで二人揉み合っているような黒い影が見え、続けてワァーワァーという声が聞こえた(第七回公判)、悲鳴はガード下付近から聞こえたとは感じない、二つの影はガード下にちょっと入った白い桟みたいなものの傍に見えた、悲鳴を聞いてガード入口あたりの二つの影を見るまで数秒のうちだった(第八回公判)などと供述しているのであって、この両者が同じ地点を指すわけでないことは明瞭であり、何故このような違いが出てくるのか理由を知りたいところである。

そもそも前記Y実況見分では、深夜の犯行(らしきもの)を目撃したというYの認識の真否を確かめるのが目的と思えるのに、それを日中明るいときに実施するという非常識を始め不可解な面が少なくない。

この点、同実況見分の責任者である警察官坂本正二証言も併せて検討するのに、まず、同実況見分調書には、Y証言がいうような目撃状況、つまり、ガード入口あたりに二つの人影を見たという事実に沿った見分結果はなく、人影が見えた地点として夜間ならば全く視認不可能な箇所が指示されたとされていること、その人影は調書上犯人と表示されていて、二人の人物の存在を示すような記述は全くないこと、視認の程度について、服装の色は見えたが性別の区別までは分からなかったなど、夜間の目撃事実としては到底あり得ないことを証言していること、その一方で、その見分後の夜半、わざわざ再度の事実上の現場見分(Yの立会いはない)を行い、その結果は調書に作成もしたというのに、その資料が当時検察官に送付された形跡もなければ、公判で証拠請求もされていないこと、その際の見分結果では、前記ガード下の地点の人物にゆっくり動いてもらったら、目を凝らせば目撃が可能であったというのであるが、これは前記裁判所の検証結果によってはあり得ないはずであることなど、明らかに常識に反した実況見分の在り方が指摘できるのであって、これらのことも総合して考察すると、Yを立ち会わせて実施したというその実況見分の内容には前記H実況見分と同様疑義が多く、Yが当時その調書にあるとおりの指示説明を進んでしたことさえ疑わしく、既にHが述べていたとする被害状況に合致するような方向への捜査官による供述誘導がなされたのかも知れないという疑念が起きても仕方がない。

ではあるが、人影の転倒事実とは違って人影を目撃したこと自体については、それがガード下の地点であったことにこだわらなければ、必ずしも状況的に不合理というものではなく、これをYからも視認できる地点、つまりガード下に入ったところではなく、その入口付近での出来事を見たものとすれば、これは逆に被告人弁解にも沿う事実と言えなくもないのであって、Yがこの点についてまで虚偽を証言しているものとは言い切れない。

ただし、Y証言が別にいうように、それに引き続いて女が激しく相手を難詰していたというのが事実とするなら、それはHが供述しているような態様での強制わいせつ行為がなされたことを否定する状況と捉えることができる代わりに、被告人もHにその際何にもしてないとはいいにくいことになるだろう。

3  被告人の弁解録取書について

被告人は、現行犯逮捕されて金沢中署に引致され、すぐに弁解録取書を作成されたが、そこには「逮捕された理由を読み聞かせてもらったが、そのとおり、陸橋下を歩いていた若い女性の後ろから抱きつき胸など触ったことは間違いない。抱きついたとき女性に大きな声で叫ばれたので逃げた。」旨、自白といえる内容の供述記載がなされており、その証拠上の位置づけが問題となるのであるが、これが捜査官の利益誘導によるもので任意性を欠くものという所論の主張が採用できないことは、原判決がその理由中に説示するとおりで、これに付け加えることはない。

しかしながら、原判決が、供述は本件犯行を認める内容のものであり、H、Yの各供述とも一致しているとの理由で簡単にその信用性を肯認していることに賛成することはできない。

すなわち、右弁解録取書の作成経過は、原判決が認定判示するとおりであって、被告人は、取調時、住居、氏名を偽って名乗っていたため、それに基づく犯歴照会に回答がないまま、取調官から、それまで犯罪歴もないものなら正直に述べよと諭されたのがきっかけで「やりました。」と一応事実を認め、結局は弁解録取書記載のような内容の供述を行ったうえ、改めて取調官に自分はどうなるかを尋ねたところ、逮捕されているから帰れないと告げられて態度を変え、全面的に事実を否認するとともに、その後は黙秘して調べに応じなかったというものであるが、それによると、被告人が事実を認めさえすれば釈放を含む寛大な処分が得られるかも知れないと期待して自白したが、結果はそれが案に相違したため前言を撤回したという事情が窺えるのであって、既に検討してきたように信用性に多大な問題を孕むH証言に符合する自白内容ということを主たる根拠にして直ちにその信用性十分とするのは相当でない。

右弁解録取書で被告人が自白した内容というのは、前記のとおり、女性に後ろから抱きつき胸など触ったが、大声で叫ばれてすぐ逃げたという簡単なもので、その程度の犯行に過ぎないのなら素直に頭を下げれば偽名のままの微罪放免が期待できると考えたとして必ずしもおかしくはなく、逆にいえば、その段階では警察側においてもそれ以上の被疑事実を把握していなかったことが考えられ、他方、被告人として、自分が置かれている立場をそれほどには深刻に受け止めていなかったということもあり得ることであって、いずれにしても、右録取書の供述内容が真実でないとする被告人の主張を排斥し切れない。

4  原判決が問題とする情況事実と事実認定について

以上の検討によれば、原判決が本件公訴事実につき被告人を有罪と認定する最大の拠り所としたH証言は、前記のように無視することができない数多くの問題点があって信用することはできず、また、本件犯行の一部を目撃したというY証言も、H証言を補強するとする部分の信用性に欠けるばかりか、かえって、本件犯行の存在に疑問を抱かせる供述さえ含んだものであり、被告人の弁解録取書も、いまだ自白と評価するに足りないものといわざるを得ないのであるが、原判決はなお、これら証言等の信用性の判断に影響する事情としていくつかの情況事実を問題にしているので、それらの点についても考察を加えることとする。

すなわち、原判決は、要するに、本件における事実関係が被告人の前記のような弁解どおりであったものとすれば、H、Yの当時の言動に理解し難い矛盾が生ずるとともに、被告人自身の行動も不自然極まりないものになるとして、最終的には、被告人が本件犯行を行ったとすることですべては合理的に説明がつくものとし、これも論拠にして被告人の弁解を排斥し、H証言等の信用性を認めて有罪認定の根拠としているのであるが、これに対する当裁判所の判断は、冒頭説示でも一部考え方を示したとおりであって、確かに原判決が取り上げる情況事実を総合すれば、本件において被告人がHとの間で全く何にもなかったかのようにいう弁解がそのまま信じがたいという限りでは、原判決の説示も相当とすることはできるが、その反面として、被告人が本件公訴事実どおりの犯行に及んだに違いないと結論する思考方法ないし判断結果までを肯認することはできないのである。

原判決は、被告人の弁解内容が事実とすれば、Hは、被告人の存在に驚いて悲鳴を上げることはあったにしても、即座に自分の勘違いに気付き、これを自らの失態として意識するはずだから、それをことさら被告人を痴漢の犯人として追跡し、その逮捕の現場にまで残っている道理はないものと推論するのであるが、そうであれば、逆に、Hがそのような行動に出てもおかしくない状況、被告人の側からいえば、証拠上認められるような態様での逃走や態度を取らざるを得なかった理由がそれぞれあり得るかを勘案してみなければならないはずである。

その観点から推理すると、原審で取り調べた関係証拠を総合して認定できる状況のもとで、Hと被告人の間には、本件ガード入口付近で初めて何か尋常でない出来事が生じ、Hとしては、勘違いの場合も含めて被告人を本気に痴漢と思い込んで憤慨し、被告人としては、その場で直ちには申し開きもできないような事情があって黙って逃走し、その後現行犯逮捕されて警察に引き渡されるといった事態にまで至っても、自分はやってないという以上に納得がいく弁明まではできかねたといった事実関係も想定できないわけのものでもなく、必ずしも原判決がいうように、被告人においてHが供述するとおりの態様による本件犯行を行ったに違いないと結論しなければならない程に判断が狭められるものではないし、被告人の弁解どおりの事実を不合理とする反面で、これに対立するH証言等がそれ自体が抱える供述の欠陥を超えて全面的な信用性を具備するに至るわけのものでもない。

そしてなによりも、本件公訴事実に従った犯罪の成否は、もっぱらそれに沿った供述を内容とするH証言やその他関係証拠の信用性に係ってくるべきものであるが、それらには、これまで検討してきたような合理的解明ができない多くの問題点がある以上、これを根拠として本件公訴事実どおりの有罪認定をすることはもはや許されないものである。

もっとも、事件が右ガード入口あたりでの悶着に過ぎなかったものとすれば、Hとしてもそのとおりに捜査官らに述べればいいものを、何故それ以前の地点で襲撃されたように過剰かつ余分な被害を申告しなければならなかったかは当然の疑問であるが、これも、Hが被告人を痴漢犯人と思い込んでもおかしくないような当時の状況があったものとすれば、結果的にそれが誤解であったにしても、被告人自身がその誤解を解く何らの弁明も行わない以上、正義感が強いともいわれる同女としては自らの認識に従って被告人を許せないと憤慨し、まして直後、同女が事件をデッチ上げているのではないかと言われているとの報道などを耳にして反発するあまりに、現行犯逮捕から警察の取調が進む過程でつい過剰な被害を申告し、あるいは捜査の成り行きを黙認したということが考えられなくもなく、このことは、被告人を現行犯逮捕した際、Hの口からYや臨場した警察官にきちんとした被害申告がなされなかった可能性が強く、Yとしてもそのとき被疑事実をきちんと把握してから逮捕行為に及んだのか多分に疑問とされるところもあるのに、現行犯逮捕手続書中の事実聴取欄には、その両者の直後の警察での供述調書を含めその後の供述、証言にも全く現れてこないような突出した被害及び目撃事実が説明されたかのように記載されていること、Hが最初に襲われた地点の特定が不自然な動揺、変遷をしながら次第に固められていった疑いも強いこと、警察の捜査方法が犯行が行われた地点やその態様についての関心が薄く、とくにHのわいせつ被害状況に対する究明が、同女の着衣、身体の写真撮影や現場での実況見分等でほとんど軽視されているようにみえること、H自身、調書作成や実況見分の実施が警察側のペースで運ばれたことを認めていること等からしても単なる想像に過ぎないものとは言い切れないと思われるのであって、Hが過剰被害の申告をした理由を、同女自身の積極的な虚言としてのみ説明しなければならないわけではない。

また、Y証言(同人立会いの実況見分での指示説明を含め)についても、原判決は、Hと特別の関係があったともみられないYが、Hと期せずして口裏を合わせ無実と分かっている被告人に濡れ衣を着せる形で虚偽の供述をして犯人に仕立て上げるようなことをするとは考えられないと説示するが、Yが被告人は無実であることを知っていたとするならば、原判決の右不審ももっともといえようが、もともと本件犯行自体を直接現認したわけでもない同人が、情況的判断から被告人を痴漢と思い込むことはあり得ることであり、証拠上窺える同人の言動もそれを裏付けるものであれば、原判決がいうように同人が被告人の無実を知りながらHと口裏を合わせた場合を予想してことを論ずるのも適切でない。

ただ、それならば何故、客観的事実に反する暗闇状態にある本件ガード下の目撃供述を行ったかという点については、Yが当時自分としては痴漢犯人に間違いないと思って逮捕した男が犯行を否認していることも知って、その証拠固めのための実況見分をする際、自分の逮捕行為を正当に根拠付けようとする心理も働き、Hが供述しているとされた被害状況に符合する方向での指示説明をしたということも決してあり得ないわけではなく、被害者とされるHとの供述の合致を望むだろう捜査官側の意向にも沿った供述がなされたとしても格別の不思議はないのである。

ではあるが、被告人の本件当時の言動や態度は、少なくとも何らかのわいせつ行為を行ったのではないかとの疑惑を招いて当然のものであり、これが誤解であり、被告人としてはそのときのHに対して毫も恥じるところがなかったというのなら、何故に必要な反論、抗議をし、あるいは弁解、釈明を行わなかったのかが疑問で、これが日本共産党への影響や弾圧を懸念し、自分の任務である赤旗新聞の配達の都合を考えたということなどの理由だけで納得できるようなものでないことは、原判決も指摘するとおりであって、当裁判所としても、当時、Hと被告人との間には、被告人が主張するように何にもなかったとまでは思えず、Hにそのような強硬態度を取らせ、逆に被告人としてはそこまで消極的に振る舞わねばならなかった何らかの弱みがあったものと推察せざるを得ない。

となると、本件において、もはや本件公訴事実どおりの態様での強制わいせつの犯行を認定することができないのは明白ではあるが、なお、被告人自身もHと身近な接触があって悲鳴を上げられたと自認している本件ガード入口付近以後の被告人の行為に、本件公訴事実の範囲に含まれる強制わいせつの犯行が認められるかどうかも検討しなければならないのであるが、既に「ナカヤビル」前で初めて襲われ本件ガード入口まで連行されたという供述部分の信用性が全面的に否定されたと言ってよいH証言について、その残余の部分だけに証拠価値を認めるというわけにはいかないばかりでなく、Hと被告人との間にあったと推測される何らかの出来事もY証言がいうように、悲鳴が聞こえてきたそのすぐあとに引き続いてワァーワァー口汚く罵るような女の声が聞こえ、ついで女が逃げた男を追跡する様子を示し、その男は、追いかけるYに対し「お前は誰だ」と聞いてきたというような状況や、被告人がHの着衣の中に手を突っ込んで乳房を弄ぶといった過激なわいせつ行為に及んだことを窺わせるような着衣や身体の損傷、痕跡がないことから推して、これがH証言が供述するような態様での強制わいせつ行為であったとは認めがたい。

結局のところ、その際被告人とHとの間にどのような出来事があったかを明らかに知ることまではできないのであるが、以上検討の結果としては、被告人が本件公訴事実の範囲内で強制わいせつの行為を行ったことを証拠上は認めることはできないと結論すべきものであって、それ以上の真相を探索することは、H証言についての疑問の解明も含めて当裁判所の任務とするところではない。

七  結語

以上の次第であって、本件公訴事実について、これを被告人の行為として認定するには証拠上合理的疑いを拭い切れず、その犯罪の証明は不十分なものといわざるを得ないのであって、これを有罪と認定した原判決は、証拠の評価を誤って事実を誤認したものというほかなく、これが判決に影響することは明らかであり、破棄を免れない。論旨は理由がある。

よって、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により更に判決することとするが、本件公訴事実については犯罪の証明がないので、同法三三六条により無罪の言渡しをすることとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官濱田武律 裁判官井垣敏生 裁判官田中敦)

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